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仏教講座『夢中問答』④ 12月11日(日)14時~

仏教講座『夢中問答』④のお知らせ
12月11日午後2時から3時半
擇木道場 ZOOM可

早いもので師走に入りました。
禅に関わる人にとっては、12月8日の釈尊成道はとりわけ重い記念の日ですね。
釈尊は、なぜ出家したのか、という問いに、後年「『善き人』になりたかった。」とお答えになっています。

釈尊は、生まれた時すでに母がいませんでした。お母様はゴータマを産んだときに命を落としました。
人間は皆誰でも何かしらの欠落(命ではなく「色」において)を抱えて生まれてきますが、
釈尊も人生の最初から「欠けた」人だったわけです。
釈尊は常人をはるかに超えた天才だろうとは思いますが、とはいえ人間として思索の起点として、この点は影響を持ち得たのではないかと考えられます。
父王は欠落感を抱え思索し物思いに沈みがちな王子に、贅沢を尽くして離宮を作ったり多くの美女を与えましたが、その憂いは消えなかったと仏典に書かれています。

一般に母の顔を知らない子どもが欠落感を埋めるために、たとえば母性を強く求める青年になるとか、子どもを大切にする人になるとか、様々な成長の仕方があるでしょうが、
釈尊の場合は、生老病死の「無常」として受けとめ、その解決に出家を決意しました。

そしてその心は「善き人になりたい」でした。
「善き人」とは、悪でない善、という選択ではなく、「正しい」に近いニュアンスです。

つまり、人間とは何か、どうあることが人間なのか、という追究です。
たとえば、なぜ母がいる子どもがいるのか、なぜ母がいない子どもがいるのか、なぜ人は生まれてくるのか、なぜ人は老いて死ぬのか、
総じて人間とは何なのか!ということ。
これを乗り越えて、人間のあるべき姿を見つけたい、
もし人間が絶望の存在でないなら、希望がある存在だとしたら、それを見つけたい。それになりたい。・・・

ここには、自己実現とか、自我の成長や自分の幸福のような、自分という個人にまつわる問いはありませんね。
そもそも仏教は、自分らしさの追究ではなく、「『人間』になる」ためのもの。
「人間らしく生きる」ためのものです。

個人の悩みから始まっても、個人の問題解決ではなく、「人間らしさとは?」・・・この答えが色即是空。
その後、人間らしさを身に着けた上で、個に還って、自己を生きるのが「空即是色」です。
そうです。人間らしさと自分らしさの一致を目指しているのです。

『夢中問答』の主人公足利直義は、日本の未来のために譲れない大義を貫こうと決意しています。
しかしそれを断行する時、君と対立し、仲間と対立し、兄と対立することになる、そしてその先には自分の死が予感されています。
どうすべきか!という絶体絶命の判断を前にした直義に、
まさに夢窓国師は「人間」としてのありようを授けていきます。

未来の幸せから逆算しての行動ではなく、そうとしかできない全力の判断こそが真に「人間らしさ」を生きることである。
そしてそれこそが、「自分らしさ」でもある。
したがってそれが誠の幸せである、と教え諭していかれます。

ところで、自我を乗り越え人間らしさを獲得した人のことを「菩薩」といいます。
「善き人」ですね。

夢窓国師のお示しを拝読していると、直義を仏子として生き切らせようとしているのがひしひしと伝わってきます。
そして、当時の人たちが、国師の反対を押し切ってこの本を刊行し広く読まれたのも、
この本の中に、「人間として生きるとはどういう生き方のことか」の答えがある、
それは自分たちにとっても、とてもとても必要だ、と確信していたからだと思われます。

さあ年末です。一年お疲れ様でした。どんな年でしたか?
どんな大変なこと、うれしかったことがありましたか?
一年の振り返りはもちろんですが、来たる新しい年に向かって、夢窓国師のお教えを一緒に拝読してみませんか?
そして生き生きと駆け抜けた『太平記』の人々にも寄り添って、歴史を味わってみませんか?

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*参加できる方はお返事ください。
*一括で参加費をお支払いされた方にもお送りしましたが了解しています。
*日程が合わず、録画希望の方にも、後日録画とテキストをお送りします。
*ZOOMの方にはURLをお送りします。

*一般3000円/回

 

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